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【N0】【天声人语】箱根はこね山やまに登る

2024-12-12 来源:哗拓教育

箱根はこね山やまに登る
攀登箱根山
いわゆる御三家ごさんけの一つ、尾張おわり徳川とくがわ家けはいまの東京都新宿区に東京ドーム10個分もの広大な庭園「戸山とやま荘そう」を構えたかま。「すべて天下の園池(えんち)はまさにこの荘をもって第一とすべし」。11代将軍家斉(いえなり)を感嘆させた。

被称为德川御三家之一的尾张德川家曾在如今的东京都新宿区修建了一个大型庭园“户山庄”,其大小堪比十个东京巨蛋。第11代将军德川家齐曾为此感叹道:“天下园池,唯此园当称世间第一。”
▼造園には贅(ぜい)を尽くした。池を掘って橋を架け、蛙(かえる)や蛍ほたるを放つはな。残土ざんどを積んでつ山を築つき、玉たまを伏ふせた形に整えて「玉円峰」と命名した。圧巻あっかんは小田原おだわら宿しゅく・じゅくを模したも一角。米屋、茶店、酒屋など三十数軒を並べ、将軍お成りとなれば売り子、駕籠(かご)かきもそろえた。

庭园的建造极尽奢华。挖水池、架桥梁、放蛙萤。堆砌弃土修筑小山,将其形状修整为卧卵形并命名为“玉元峰”。最出彩的莫过于仿造小田原宿而建造的一部分。米店、茶馆、酒屋等30多家店铺鳞次栉比地排列着,将军亲临时还会有小贩和轿夫聚集在这里。

▼小寺こでら武久たけひさ著『尾張藩江戸下屋敷しもやしきの謎なぞ』によると、入園が許されたのは武家ぶ けの中でも限られた者もののみ。体裁を気にする武士たちも園内でははめを外はずした。武家専用のテーマパークである。

据小寺武久所著的《尾张藩江户下邸宅之谜》记载,入园者仅限武士家族中的特定人士。平日里讲究体面的武士们也会在园内释放自我。可以称得上是武士家族专用的主题公园。

▼先日、権勢けんせいの跡を歩いてみたが、池や泉も礎石そ せきの跡もわからない。戸山荘は江戸末期に地震や大火で荒廃した。明治政府は屋敷跡を陸軍用地とする。戦後、一角が都立とりつ公園こうえんとなった。

前些日子,笔者到此探寻了权势的痕迹,却发现水池、泉水、基石均已无迹可寻。户山庄毁于江户末期的地震和大火。明治政府将这块遗地征用为陆军军事用地。战后,其一部分成为了都立公园。

▼玉円峰の名は忘わすれ去さられたが、山はそのまま残った。「私たちは箱根山と呼んできました。架空か くうの小田原宿にちなんだ名です」と地元の町会連合会長、桑島裕武(くわじまひろたけ)さん(78)は話す。愛着は深く、8年前に町内会で始めた行事にも「箱根山駅伝」と名を付けた。今年はあす4日に開かれる。

玉元峰这个名字逐渐被世人遗忘,然而山峰依旧耸立在那里。当地78岁高龄的町会联合会长桑岛裕武先生解释道:“我们后来称这座山峰为箱根山,这个名字源于虚拟的小田原宿”。怀着对箱根山的留恋,8年前,他将在町会上举办的活动命名为“箱根山长跑接力赛”。今年的比赛将于明日4号举办。

▼箱根山の標高は、わずか44メートル。「東京23区内最高峰」「無事に下山ください」。大仰おおぎょうな説明板につられて殿との様さま気分に浸ろひたうとしたものの、栄華をしのぶよすがは見つけられなかった。徳川の世よが去さって151年目の春である。

箱根山的海拔仅为44米。“东京23区最高峰”“请平安下山”,受这些浮夸提示板的影响,想要让自己陷入到身份尊贵的感觉中,然而并不能找到缅怀繁华的寄托之地。当下已是距离德川逝世的第151个春天。

【天声单词】
△贅を尽くす(ぜいをつくす):〈慣〉极其奢侈。(物事をできるかぎりぜいたくにする。ぜいたくを極める。)
△圧巻(あっかん⓪):〈名〉(书刊中最精彩的部分)压卷。(演出节目中最精彩的部分)压轴。(書物・催し物などの中で最もすぐれた部分。)
△駕籠(かご⓪):〈名〉肩舆,轿。(乗用具の一。竹製または木製で、人の乗る部分を1本の長い柄につるし、前後から担いで運ぶもの。古くから使われたが、江戸時代に広く普及した。四つ手駕籠・山駕籠・宿駕籠など。)
△駕籠舁き(かごかき⓪③④):〈名〉轿夫(駕籠に人を乗せて運ぶ職業の人。かごや。)
△下屋敷(しもやしき③):〈名〉(住在江户的大名的)别墅。(江戸時代、本邸以外に江戸近郊に設けられた大名屋敷。)
△羽目を外す(はめをはずす):〈慣〉过分,尽兴,尽情。(興に乗って度を過ごす。)
△架空(かくう⓪):〈名/ナ形容詞〉1.架空。空中架设。(空中にかけわたすこと。)2.虚构(事実に基づかず,想像で作ること。)
△大仰(おおぎょう⓪①③):〈ナ形容詞〉1. 夸大,夸张。(おおげさ。)2. 铺张,小题大做。(規模や計画の大きいこと。また、そのさま。)3. 同:大形。

【背景资料】

  1. 戸山荘

尾張藩の徳川光友が寛文年間(1661年~1673年)に、箱根山を中心に東海道五十三次に似せて造った、戸山荘庭園がありました。この庭園 は起伏に富む地形を活かして造られた約449,000平方メートルに及ぶ広大なもので、その8割が池という池泉回遊式の名園でした。その一画に高さ 44.6mのお椀をふせたような形の玉円峰と呼ばれる築山があり、それが現在の箱根山です。明治6年から終戦まで、ここに陸軍の兵学校がありました。それを記念する碑が、箱根山の麓に建っています。

  1. 箱根山(東京都)

尾張藩徳川家の下屋敷時代の築山の名残というのが箱根山。山頂にある水準点の標高は44.6mで、人工の山ながら「東京23区の最高峰」で、山手線内の最高点。1671(寛文11)年、尾張藩2代藩主・徳川光友が造営を開始した下屋敷の大庭園に築かれた山です。

  1. 徳川時代

徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた慶長8年(1603)から、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して将軍職を辞した慶応3年(1867)までの、江戸に徳川幕府(江戸幕府)の存続した265年間。家康が関ヶ原の戦いに勝利を収めた慶長5年を始期とする説もある

来源:朝日新闻
朗读:娜娜 菁菁
注音:考萨麦
单词整理:考萨麦
背景资料整理:蛋黄派
翻译:千金
校对:Hochan22
后期:恩惠
责编:孙鹏轩

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